今回は会津の総鎮守『伊佐須美神社』に初詣に行った記事を書きました。
『伊佐須美神社』の歴史は古事記に登場するほど古く、約1,400年以上も前から会津をはじめ東北を鎮守する神様です。
祀られている神様は4柱で、創始以来古代北限の地の鎮護神とし会津文化の生みの祖神です。
伊佐須美神社へ初詣に行こう!
伊佐須美大神様は、特に夫婦円満や様々な縁結び、あらゆる殖産興業や土木建築、交通運輸に御利益があると言われています。また八方除東北総鎮護として、日常生活に関わる方除けのご利益もあるそうです。
・方除け(ほうよけ)とは、日常の中で知らずに悪い方位に行ってしまい起こる災いや、家の間取りが良くないことから起こる災い、方位の障りや家相の心配がないように祈願することです。
・八方除け(はっぽうよけ)とは、あらゆる方角を意味しており、つまり身に降りかかるすべての厄災から身を守ることです。
令和4年の初日の出は『伊佐須美神社』の参道前から。
早朝4時の真っ暗な猛吹雪の中出発し、到着時に一瞬見えた『初日の出』です。
氷点下9度という極寒の中で参拝してきましたが、厳かな雰囲気が一段と増すように感じます。
令和4年の八方塞は五黄土星でした。
伊佐須美神社の由緒
伊佐須美神社は、東北総鎮護、会津文化の生みの祖神です。
社伝を抜粋させていただきました。
社伝によると、凡そ二千有余年前第10代崇神天皇10年に諸国鎮撫の為に遣わされた大毘古命とその子 建沼河別命が会津にて行き逢い、天津嶽(現・新潟県境の御神楽嶽)において伊弉諾尊と伊弉冉尊の祭祀の礼典を挙げ、国家鎮護の神として奉斎した事に始まると伝えられます。
我が国最古の歴史書とされる『古事記』には「大毘古命は先の命のまにまに、高志国に罷り行きき。ここに東の方より遣はさえし建沼河別、その父大毘古と共に相津に往き遇ひき。かれ、そこを相津と謂ふ。ここを以ちて各遣はさえし国の政を和平して覆奏しき。ここに天の下太平けく、人民富み栄えき。」とあり、“会津”地名発祥の由来と創始を共にしております。
その後、博士山、波佐間山(現・明神嶽)と会津の山々を巡り、第29代欽明天皇13年(552)に高田南原(現・境内高天原)に遷られ、同21年(560)現在の宮地に鎮座されました。以来千四百有余年、大毘古命、建沼河別命 父子も合祀し、四柱の大神を伊佐須美大神と称え奉りお祀り申し上げております。
創始以来、古代北限の地に奉斎され悠久の歴史を培ってきた当社は、鎮護神として朝野の崇敬篤く、様々な社格や神階の奉授がなされました。
『貞観格式』において“正一位”の神階奉授の記録があり、『延喜式「神名帳」』には朝廷の名神祭に与る“名神大社”に列せられました。朝廷を含めて地方では“奥州二宮”と称えられ、開拓や東征が進むにつれ変遷があったとされる一宮に対して、古来揺るぎ無い不動の崇敬を得ておりました。寛政11年には、第119代光格天皇より大神宮号宣下を受け“伊佐須美大神宮”と号し、現在でも扁額や御神札に名残を留めております。
また、会津文化の生みの祖神でもある当社は“会津総鎮守”とも称され、会津蘆名家や会津藩祖保科正之公をはじめ御歴代藩侯には殊の外篤い信仰を寄せられ、社殿の修改築や社領、宝物等数々の寄進が多くなされました。
降って明治維新以降戦前に至るまでは、“国幣中社”として官祭に与り、戦後は神社本庁の別表神社に列せられております。現在では、当地方の古大社として“岩代国一之宮”として、全国より多くの巡拝者が参拝に訪れております。
伊佐須美神社の境内末社
菅原神社
学業成就や出世開運
御祭神 | 菅原道真公 |
---|---|
相殿神 | 伊勢神三座、八幡神、稲荷神五座、熊野神、三島神、鹿嶋神、宗像神、山神、聖神、天神、 天王、鹽竈神、幸神、石神、荒神二座、一王子、七五三王子、十二神、八乙女神、鬼渡神、叶神、軍神、権現、加武氣神 |
祭 日 | 三天神 1月25日(初天神) 2月25日(本天神・菅公祥月命日) 12月25日(終天神) 例 祭 6月25日(菅公御誕生日) 寄宮祭 9月29日(相殿神の祭り) |
伊佐須美天神と称される当社は、学問成就・出世開運の守護神として信仰を集め、特に、三天神すべてに参拝すると一年間月参りをしたのと同じ御利益がいただけると伝えられています。
また、相殿には31座の神々がお祀りされており、和歌の別称「三十一文字(みそひともじ)」にも通じて学問成就に縁起が良いとされ、また、あらゆる願い事をお聞き届けくださると信仰されています。
神牛は、菅原道真公の御使であり、これを三回なでると願い事が叶うとされ、「なでうし」ともいわれます。
白山神社
夫婦円満や様々な縁結び
御祭神 | 白山比咩神 |
---|---|
合殿神 | 琴平神社・三峯神社 |
祭 日 | 例祭 11月15日 |
護国山清龍寺境内より遷座され、夫婦円満の守護神として信仰されています。
会津大国魂神社
殖産興業や土木建築、交通運輸に御利益
御祭神 | 会津大国魂神 |
---|---|
祭 日 | 例 祭 5月15日 |
“会津の国魂”とは、会津の風土そのものであり、会津魂の根源たる伊佐須美大神のことであります。
遥か昔、大毘古命・建沼河別命父子に付き従い、伊佐須美大神を奉じて会津の山々を巡り会津の大地を開拓し繁栄に導いた祖先の御霊たちに報恩感謝の敬意を込めて“会津大国魂神”と尊称し、昭和58(1983)年にお祀りされました。 以来、土木・建築や交通安全、水利水運、農・工業の御神徳を仰ぎ、信仰されています。
道主命神社
交通安全祈願・車輛清祓
御祭神 | 道主命 |
---|---|
祭 日 | 月次祭(年間7回) |
交通安全の祈願所として、御神前にて交通安全祈願者の車輛清祓が行われます。
交通安全の祈願所として、御神前にて交通安全祈願者の車輛清祓が行われます。
会津大国魂神社
会津魂の根源
御祭神 | 会津大国魂神 |
---|---|
祭 日 | 例 祭 5月15日 |
“会津の国魂”とは、会津の風土そのものであり、会津魂の根源たる伊佐須美大神のことであります。
遥か昔、大毘古命・建沼河別命父子に付き従い、伊佐須美大神を奉じて会津の山々を巡り会津の大地を開拓し繁栄に導いた祖先の御霊たちに報恩感謝の敬意を込めて“会津大国魂神”と尊称し、昭和58(1983)年にお祀りされました。 以来、土木・建築や交通安全、水利水運、農・工業の御神徳を仰ぎ、信仰されています。
元旦の神社の様子
由緒正しい『伊佐須美神社』に初詣に行った時の様子です。
元旦朝7時頃に到着。駐車場は神社の東側にある殺生石稲荷神社の隣が臨時駐車場になっていましたので、そこに停めて河川敷を歩きました。
熊手、お守り売り場はポカポカ。
熊手やお守りは大きなテントの中で販売しています。テント回りが仕切られていて暖房されていましたので、中に入るともう外には出たくない…そうなってしまいましたね。(>_<)
参道には露店が多数出店していました。
早朝にもかかわらず営業されていて、温かい飲み物がとてもありがたかったです。
『ありがとうございました』
あとがき
初詣に行くまでが大変!福島市~会津若松までの険しい道のり。
元旦の早朝4時に出発して-9℃の吹雪の中、福島市から会津若松まで土湯峠を越えて走ってきました。
参拝までの道路状況
乾燥路面なら3時間弱で到着できるルートですが、あいにくこの日は圧雪の上吹雪というコンディション。凍って視界ゼロになったフロントガラスの霜を、何度もスクレイパーで落としながら走りました。
道中『ホワイトアウト』に何度も遭遇しながら、ハザードを点滅させてゆっくりノロノロと峠を越え、約4時間かけて何とか伊佐須美神社に着くことができました。
到着までには10台以上の除雪車が作業してくれていて、正月にもかかわらず深夜から道路の保全のため勤務している多くの方に頭が下がる思いでした。