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大内宿うわさの「ネギそば」の感想、まるで江戸時代にタイムスリップ

2021年12月31日

噂のネギそばを食べに大内宿に行ってきました。

大内宿の紹介はWebや雑誌などに沢山でていますが、自分なりの感想と紹介を記事にまとめてみました。

是非最後まで読んでみてください。

愛車のサバナに乗って猪苗代経由で大内宿まで走ってきました。
福島市から猪苗代湖を経由し、会津市内を抜けて121号線を通り大内宿まで、約2時間30分。ゆっくり走ってきたので時間は少し掛かってますが乗用車で機敏に走ればもう少し早く到着できると思います。

大内宿に到着すると一瞬にして江戸時代にタイムスリップしてしまいます
古き良き時代の日本を全身で体感できる数少ないスポットを、自分なりにレビューしてみたいと思います。

道の両脇に茅葺き屋根の古民家が軒を連ねる大内宿は、日光から会津へ続く「会津西街道」の宿場町として栄えました。江戸時代から江戸と会津を結ぶ重要な街道で、参勤交代や江戸へ米や物資を運ぶ運搬路としても大切な道でした。

当時の会津西街道は、明治以降の主要な交通網の整備計画から外されたため、街道脇の一部の集落は開発が遅れてしまいました。その取り残された山あいの集落にあるのが大内宿だそうです。

大内宿は、道の両側に屋敷が均等に並んでいることや、寄棟(よせむね)造りなどが、江戸時代の宿駅制度の形態を良く残しているとして、1981年(昭和56年)4月、国の「重要伝統的建造物群保存地区」に指定されています。

この街道は、鎌倉時代から会津と関東を結ぶ街道として多くの往来がありました。

同じ街道筋にある川島宿が承応三年(一六五四 年)にできたことから、大内宿ができたのもほぼこれと同じ頃だと考えられています。
江戸時代の街道整備は、徳川幕府の支配体制の確立と関連していて、この頃すでに五街道を初め脇街道なども整備されていました。

脇街道であった会津西街道は、幹線に比べると小規模であり、宿駅もなく道の整備も充分ではなかったようです。大内から若松へは約四里半(16.5㎞) 田島へは五里(20㎞)、当時の一日行程は約八~十里(32∼40㎞)であったため、大内宿は中宿として昼食のための休憩の宿場になったそうです。

また、江戸時代の会津藩主・保科正之は大の蕎麦好きであったため、現在でも会津地方は蕎麦の産地として、美味しい蕎麦が食べられることで知られています。大内宿に伝わる蕎麦は、大根おろしのしぼり汁とみそを合わせて食べる『高遠(たかとお)そば』が有名です。

今回はその高遠そばを目当てに大内宿に行ってきました。

大内宿名物『ねぎそば』って何?

大内宿といえば「ねぎそば」と言われるくらい有名になった「ねぎそば」は、長ネギ1本を箸代わりして食べるという、ほかではなかなか見ないスタイルです。しかもそのネギは薬味としてかじりながら食べるそうです。

けど、大体の人は少しかじった程度で途中から箸に持ち替えて食べていました。
自分はネギが苦手なので、最初から普通に箸でいただきました。(*^_^*)

そばの一般的な食べ方は、しょうゆベースで鰹出汁が利いたそばつゆで味わう食べ方だと思いますが、そんなそば通の常識を覆すのが「高遠そば」です。高遠そばは、そばつゆの代わりに大根おろしの搾り汁とみそを使う独特の食べ方で、そば文化として長野県や会津地方の一部で根付いています。全国的な知名度は低いものの、現在主流のそばよりも歴史は古いようです。

高遠そばは、その名が示すように高遠藩(長野県伊那市高遠町)が発祥の地です。会津に伝わった経緯は、会津藩祖、保科正之が幼少期に育った高遠藩の高遠そばが大好きだったからだと言われています。

保科正之は江戸時代初期の大名で、徳川2代将軍秀忠の四男として生まれました。幼少期に高遠藩の養子に迎えられ、後に高遠の藩主を務めました。その後も出羽国山形藩主を経て、陸奥国会津藩初代藩主になった会津松平家初代です

正之は無類のそば好きとして知られていて、城では客へのもてなし料理として高遠そばを振る舞っていたそうです。1643年(寛永20年)、国替えで会津藩に移る際に、そば職人も連れて行ったことで、会津でも高遠そばが広まったとされています。

ではなぜ大根おろしの搾り汁とみそで味わうのかというと、高遠藩は、平均標高約900mの山間部にあり稲作に適さないため、寒冷でやせた土地でも育つソバの栽培が盛んだったそうです。当時のソバはコメに代わる日常食で、現在と同じ様に細く切ったそばが食べられていました。江戸初期はしょうゆがまだ普及していない時代で、貴重品だったかつお節など出汁に使う海産物も手に入りませんでした。

そこで、高遠の住民はソバを美味しく食べるための試行錯誤を繰り返し、生産が盛んだった大根の搾り汁でそばを味わってみたらしいです。ところが搾り汁だけでは辛味が強すぎたので焼いた信州みそを溶かし込んで食べてみたら、辛さが和らぎそばと見事に合ったということで、高遠発祥のそばが誕生したそうです。

ちなみに高遠そばの名称は、会津地方で定着したもので、発祥地の長野県伊那市では主に家庭で食べられていたため呼び名はなかったそうです。25年ほど前に同市の住民が訪れた会津のそば店で偶然高遠そばを見つけ、それがきっかけで地元でも商品化の動きが加速し、高遠そばが地域振興の一翼をになっているらしいです。

保科正之は江戸時代初期の大名ですから、この高遠そばは約400年前のご当地グルメだということになります。ただ、大根おろしと焼いたみそで食べるのは定番でしたが、当時はねぎを箸代わりにする風習はなかったそうです。

会津に根付いたそばは、慶事の際にはおわんにねぎを挿して食べられるようにり、結婚のお祝いや子どもの生誕祝いなどに、“そば口上”をうたいながらそばを食べるという風習ができたそうです。そばとねぎは、この地方では子孫繁栄を願う組み合わせで、その風習をヒントにして30年前にできたのが大内宿三澤屋の『高遠そば ねぎそば』で、大根の汁は活かしつつも焼きみそ代わりに現代人の味覚に合わせた擦ったクルミが添えられました。薬味のためのねぎをまるごと一本使って食べてもらおうと始めたのが“ねぎそば”として有名になったそうです。

大内宿のねぎそば発祥の店、三澤屋さんのHPはこちらから

大内宿の鎮守『高倉神社』

第77代後白河天皇(ごしらかわてんのう)の第三皇子・以仁王(もちひとおう、高倉宮)が治承4年(1180年)5月、平家追討に失敗してこの地に落ち延び、大内宿で潜行の際に草鞋(わらじ)を脱いだといわれています。高倉神社はこの高倉宮似仁王をお祀りした神社であり、『 大内 』という地名も高倉宮似仁王より賜ったと言い伝えられています。大内宿の集落中央付近にある大きな鳥居をくぐり、田園風景のなかを歩くとこんもりとした森の中に高倉神社があります。

現在も村の鎮守として祭られている高倉神社は、以前は、高倉宮以仁王(たかくら みやもちひとおう)を敬い5月に祭礼を行っていましたが、田植えに時期と重なり大変忙しいため、一年の半分である半夏に祭りが移されて現在の「半夏祭り」となりました。

家内安全や五穀豊穣を祈願し神社で神事を行った後、御獅子が路上の魔を払い、白装束に黒烏帽子姿の男衆がみこしを担ぎます。夏至から数えて11日目の半夏生(はんげしょう)の日、7/2に行われるので「半夏まつり」と呼ばれています。

山岳信仰『湯殿山』の石碑

『湯殿山碑』は日光側から見ると最後尾、浅沼食堂(扇屋分家)の前に建立されています。出羽三山(山形県鶴岡市)の山岳信仰、修験道の一翼を担う「湯殿山」を信仰する石碑で、大内宿の住民が普段手を合わせる為、又は湯殿山の先導が信仰を広める為に建立したと言われています。

突き当りにある石碑を左に曲がり石段を登りきると、浄土宗の正法寺というお寺があります。そのお寺の更に先に進んで行くと、大内宿を一望できるポイントがあります。

大内宿を紹介する時には必ず登場するこのアングルは、その場所から撮影されたものです。この景色が観られれば、石段を上った疲れは必ず報われます。大内宿に行った際は頑張って上まで上がってみることをお薦めします。

江戸時代の暮らしがわかる『街並み展示館』

宿場の中ほどに、大内宿本陣跡に復元された宿駅時代の本陣が再現されています。
当時の風習を伝える写真や生活用具が展示されており、入場料は大人250円、小人150円で拝観できます。建物の外見だけではなく、江戸時代の庶民の暮らしを生で感じる事ができるので、更に大内の魅力が発見できるかもしれません。

雪の灯篭が幻想的な『雪まつり』

会津は雪深い地域なので、冬になると大内宿のような山間の土地は更に閑散としてしまいます。ですが、雪が多い土地ならではの雪の楽しみ方である『雪まつり』が大内宿でも開催されています。

雪まつりは毎年2月の第2土曜・日曜に開催されています。冬は雪に閉ざされ静かな大内宿ですが、この2日間は夏の賑わい以上に観光客が訪れます。道の両脇に雪で作った灯篭(とうろう)が並び、茅葺の屋根にはこんもりと雪が積もり、夏とは違った風情を楽しむことができ人気になっています。

冬の間は休業している店舗が多い大内宿ですが、この雪まつり期間中はほぼ全店舗がオープンし、訪れるみなさんを楽しませています。

土曜日の夕方から始まる「御神火載火(ごじんかたいか)」と「花火大会」はぜひ体験したい催しです。「御神火載火(ごじんかたいか)」は、高倉神社から下りてきた下帯姿の男衆が松明を持って集落内を駆け抜け、かがり火をともして回ります。
「花火大会」冬の凛とした夜空を彩る花火が、雪景色を色とりどりに照らし、夏の花火大会とは一味も二味も違う美しさを見せてくれます。

『第26回大内宿雪まつりについて』
令和4年2月12日(土)13日(日)に予定されている第26回大内宿雪まつりの各イベントは行わないようです。但し、各家の前には雪灯籠を作成し、夜は雪灯籠にローソクを灯す予定はあるそうです。

【雪灯籠設置期間:2/5(土)~2/13(日)】
※降雪状況により変更あり

※以前の花火大会と雪灯篭に火が灯された時の映像です。

駐車場とアクセス

駐車場の料金は普通車500円、マイクロバス1,500円、中型・大型バス3,000円です。
この駐車料金は宿場の保存の為に使われているそうです。
貴重な重要伝統的建造物群保存地区として、末永く保存されることを願います。

アクセス
東京方面からは、東北自動車道白河ICから、289号線経由で約1時間。
仙台方面からは、東北自動車道須賀川ICから、118号線経由で約1時間。
新潟方面からは、磐越自動車道新鶴スマートICから、約40分。
郡山方面からは、磐越自動車道会津若松ICから、約40分。

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まとめ

大内宿は民家兼店舗になっていて、営業時間は各店舗により異なるそうです。天候や各家都合により営業時間が早まったり休みの店舗もあるようです。午前9時から午後4時位までは比較的開店中の店舗が多いです。

民家の軒先に土産品を並べて販売している家や、食堂やカフェ、蕎麦屋などの店を展開している古民家が現在も約50弱あるそうです。
まさに江戸時代にタイムスリップしたような街並みは、日本人として後世に残しておきたい風景だと感じました。

これからの時期の大内宿は、雪が降って水墨画のような風景になります。
一年を通して一番静かな大内宿の風情として、日本人の心に響く景観だと思いますので、一度は観てみたいと思っています。

最後に、この日に食べたそばは高遠そばではなく出汁のおそばでしたが、会津のおそばはとっても美味しかったです。やっぱりお酒の美味しい土地はお蕎麦が美味しいってことで、間違いないですね。(*'▽')

ちなみに、会津周辺には蕎麦の花が一面に咲く『楽園』のような場所があちこちにあります。自分のお気に入りのスポットは、国道49号線と115号線が交差する近くにあって猪苗代湖を左手に、磐梯山を右手に眺めながら見られる蕎麦の花畑が大好きです。

そば好きがそばを食べに行く傍ら、そばの花畑を鑑賞できることは一年間の内のごく短い期間に限ります。2倍の幸せを感じる事ができる季節になったら、もう一度会津方面に出かけてそばを楽しみたいと思います。その時にはそばの花の記事を書きたいと思います。

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