今回の旅は、福島県の会津地方で、喜多方市と会津若松市に行ってきました。
巡ってきた場所は3か所で
喜多方にある知る人ぞ知る、しだれ桜の観光名所「日中線のしだれ桜並木」
会津魂のルーツを知る「会津武家屋敷」
奥会津の名湯「東山温泉」
以上の3か所です。
近場のスポット情報も合わせて入れてありますので
ぜひ最後まで読んでみてください。
日中線しだれ桜並木と会津武家屋敷、奥会津の名湯、東山温泉
始めに福島県のことについて簡単に説明します。
北海道、岩手県に次いで全国で3番目に広い福島県は、東西を縦に三つに分けて会津地方、中通り、浜通り、というエリアに分かれています。
他県の人には、県庁所在地は県の中央にある「郡山市」と思われがちですが、実は中通りの県北地区にある「福島市」が県庁所在地です。
雑学として、郡山市の人口約32万3千人、福島市の人口約27万7千人、いわき市の人口約32万4千人、会津若松市の人口11万4千人です。
西会津は新潟県との境にあって豪雪地域ですが、いわき勿来は茨城県との県境にあって雪が降ることはほとんどなく、冬でも温暖な地域です。
会津地方の西端から浜通りの東端まで約166㎞あり、下道だったら国道49号線を走って車で約5時間程度かかると言われています。
北から南に向かっては、伊達郡国見町から白河まで約100㎞、国道4号線で約2時間ちょっと、東北道なら1時間くらいです。
会津~いわき間でも、最近では高速道路も整備されているので、西会津IC~いわき勿来ICまで2時間ちょっとあれば行けるようになりました。
昔は大変だったな~💦
ちなみに、福島の県北地域にある「伊達郡」は宮城県仙台の名君『伊達政宗』の始祖、伊達家初代朝宗(ともむね)が治めた土地で『伊達家発祥の地』です。
伊達家の「伊達」は福島県伊達郡の地名から取ったものだそうです。
福島県伊達市の市章は「伊達正宗の兜の前立て鍬形」をデザインしたもので、仙台市の市章は「伊達朝宗の紋章三ツ引両」に仙の字を合わせてデザインしたものだそうです。
市章のデザイン元が交差した感じで面白いなーと思いました。
喜多方の桜の名所、日中線しだれ桜並木
福島県に移り住んで30年以上になりますが、過去に日中線という鉄道が走っていたことを、恥ずかしながら昨年まで知りませんでした。
日中線のしだれ桜並木の「日中線」って何だろう?
とは思っていたのですが、現地を訪れて初めてその真相を理解した次第です。
日中線とは「東北中央縦貫鉄道」として栃木県今市市から、会津若松、喜多方を経て山形県米沢市まで走る構想として、昭和13年8月に開業された路線です。
しかし太平洋戦争やその後の社会情勢、国鉄の民営化などにより昭和59年に廃止となった路線で、実際に運行していたのは喜多方から熱塩までの3駅区間11.6㎞だったそうです。
名前の由来は、熱塩駅付近にある「日中温泉」から名前がとられ「日中線」となったそうです。
旧熱塩駅舎は日中線記念館として現在も残っていて、無料で見学できるようです。駅舎の前には当時のSLと客車も展示されており、客車の中も自由に見学できるみたいですね。
現在でも多くの鉄道ファンが全国から訪れていて、googleの口コミには古き良き時代に思いを馳せているコメントが多く寄せられています。
鉄道ファンに愛されているんだな~って、とても感じました。
旧日中線の跡を「自転車歩行車道」として整備し、約3㎞に渡り約1000本のしだれ桜が立ち並びます。通りには、桜のトンネルのようになっている壮観な場所や、かつて日中線を走っていたSLが展示されている人気のスポットもあります。
福島の遊歩道50選になっている日中線のしだれ桜並木は、一見の価値ありの名所です。
八重桜もきれいですが、しだれ桜並木もとてもきれいで美しさに圧倒されました。
桜の満開時期にあわせてぜひ足を運んでみてください。
遊歩道の両脇にある一般の方の家でも、しだれ桜並木に花を添えるようにきれいに花壇を整えているお家もあり、地区をあげて日中線を守っている様子が伺えました。
民家カフェがあったり移動販売車なども出ていて、桜の最盛期には多くの人手で賑わっている日中線のしだれ桜並木でした。
歩いて4~5分の場所に専用の無料駐車場がありますが、休日は午前10時以降は混雑により駐車できない事が予想されますのでご注意ください。500円の環境整備協力金を募っている期間もあるようなので、是非応援したいと思いました。
ゆっくりとしだれ桜並木を鑑賞したいのであれば、休日なら早朝、平日なら午前中がおすすめです。時間に余裕をもって出かけてみてください。
日中線のしだれ桜並木以外にも喜多方市には、喜多の郷や岩月夢想館、塩川町の南原堤や御殿場公園、山都町の鏡桜や沼ノ平棚田などの桜の名所がたくさんあり、見頃時期には「さくらまつり」が開催されています。
さくらまつり期間中は、各所で地場産品の販売やコンサート、ライトアップなど様々な独自のイベントが開催されますので、それぞれの桜の名所を見て回るのも良いですね。
福島県観光情報サイト、ふくしまの旅-日中線しだれ桜並木のページ
旧熱塩駅舎の「日中線記念館」から121号線を挟んで反対側の山を登って行くと、数分で三ノ倉高原の花畑に行くことができます。こちらは菜の花や、ひまわり、コスモスが丘一面に咲いている名所です。
丘一面に広がる花畑はまさに「絶景」と言える場所で、ここまで広大に一面が花畑になる場所は、福島県では他に私は知りません。
三ノ倉の菜の花の記事を下に貼っていますので、開花時期などの参考に読んでみてください。
是非時期をあわせて出かけてみてください、「百聞は一見に如かず」です。
白虎隊の魂は今でも武家屋敷に残っている
十の掟が現代風になったのが「あいづっこ宣言」でしょうか。
誇り高き会津藩のプライドを感じます。
会津武家屋敷は、会津藩松平家譜代の家臣で家老職を務めた西郷頼母(さいごうたのも)の家老屋敷で、当時は1700石取りの家柄でした。
一石(いっこく)とは一人に必要な1年分の米の量約180㎏で、当時の給料はお米で支給されていました。単純に1700石取りとは、1700人の人を雇うことができたということになります。
主君の会津松平家の石高(こくだか)が28万石で、仙台の伊達藩62万石に次いで東北では2位の石高を誇っていたので、当時の会津の力が大きかったことがわかります。
当時、御三家の水戸藩の石高が25万石だったので、会津松平家が28万石とは表向きには言うことができず、石高25万石、幕府預かり3万石、合わせて28万石と言っていたそうです。
当時の会津はすごいですね。
余談ですが、伊達藩の石高は62万石でしたが、石高は多い方が身分が高いというわけではなく、伊達藩は外様大名(とざまだいみょう)という分類でした。
現在でも東北で1番大きい市は仙台市なので、この頃にはその布石はできていたんですね。
仙台を発展させたのはやっぱり伊達政宗なんですね…
現在の水戸の人口は26万9千人、会津の人口が11万4千人、戊辰戦争で負けて会津藩が廃藩になった結果が現在に至るということなんですね…
この話だけで記事が幾つも書けるような内容なので、今回はこれで割愛します。
会津武家屋敷に話を戻すと、屋敷はけやき、ひのき、杉材を用いた和洋建築の壮大な作りで、敷地面積2400坪、建築面積は280坪に及び、38の部屋があり、畳の数は328枚あるそうです。
各室内には生活調度品がおかれ、厳粛な当時の生活の様子を伺うことができます。
表門、表玄関、御成りの間、雪隠、茶室、槍の間、客待の間、表居間、次の間、風呂場、台所、女中部屋、裏玄関などの見どころが沢山ありました。
ここで藩主の松平容保(まつだいらかたもり)を迎えました。
槍を置くだけの部屋ですか?
籠を置く部屋だと、今風に言えば車庫でしょうか。
独身で家をもっていない家臣が住み込みで警護した部屋。
大勢の食事を作っていた大きな台所。
お風呂場も現代とあまり変わらない感じ。
ここで家族も幸せに暮らしていたんですね。
日本でもほんの146年前まで「内戦」が起きていました。祖父の曽祖父(おじいちゃんのひいおじいちゃん)の時代、明治初期までは日本国内でも戦争が起きていました。
この戊辰戦争も1868年~1869年に起きた内戦ですが、国内最後の内戦が明治維新の総仕上げの役割だったとされる「西南戦争」で明治10年、1877年に起きています。
現在からわずか146年前ということになります。
戦争は女性や子どもでも戦況によって運命が変わってしまう大変なことです。
上の写真のように幸せな日々が地獄に変わってしまったことは、内戦中のこととはいえあまりにも重すぎる内容ですね。
1986年の日本テレビ系列の「年末時代劇シリーズ、白虎隊」では、この壮絶なシーンも描かれているそうです。
このシーンはしばらく頭から離れませんでした。
小さい子供までが・・・
江戸時代から武士の生き方の教えには「武士道とは死ぬこととみつけたり」という有名な言葉がありますが、この言葉についても少し考えてみました。
江戸時代中期に書かれた「葉隠れ」という有名な記述の一部ですが、この短い文だけでは意味を間違って解釈してしまうそうです。この言葉の前後には長い文章があり、全体的に読み込むと「死に方ではなく生き方」を教授する内容になります。
当時の言葉のままでは意味が分かりずらいので現代風にすると以下の様になります。
※完全に主観です、意味合いが間違っていたらすみません、読み流してください。
武士道とは、死ぬことだと悟った。二つに一つの重大な決断をするようなときには、より死に近いほう(難しいほう)を選んだほうがいい。細かい事に悩まず、腹を決めて無心に取り組むほうが良い。目的が果たせないまま死ぬのは「無駄な死だ」などという意見は、一部の人の間違った武士道だ。生か死かの決断のときに、思い通りの結果になるかどうかは誰にも分からない。だいたい人は生きる方が好きだから、きっと好きな方を選んで後から死なない理屈をつけるものだ。しかし目的を果たす努力もせずに、ただ生き残っているとしたら「ただの腰抜け」だ。この境目が難しい。もし目的を果たせずに死ぬことになれば「死に急いでいる頭の悪いヤツだ」ということになる。でもそれは恥ではない。これこそが真の武士道だと言える。毎朝毎夕、死の覚悟を新たにして、常に死んだつもりで頑張っていれば生涯失敗することなく、職務を全うできるだろう。
これが江戸時代中期の葉隠れの教えだと、私は理解しました。
個人的な解釈ですので、間違っていたらお許しください。
冒頭の一文だけじゃなく、全文を読むと解釈が変わってくると思いました。
「迷いがあると失敗するので、死んだつもりで頑張れば何だって出来る!」
我が座右の銘「なせば成る なさねば成らぬ 何事も 成らぬは人の なさぬなりけり」
と同じだと感じました。
※上杉鷹山が記した「なせば成る」の「為せば…」は漢字ではないみたいですね。
米沢にある上杉神社の石碑を参考までに
武士道が「死を美化」している部分は無きにしも非ずだと思いますが、「武士道とは死ぬこととみつけたり」の言葉は、死を美化し急がせるような意味合いではなく「死を意識する生き方の教え」だと感じました。
戦場はいつ死んでもおかしくない場所なので、生きる事にこだわり過ぎて臆病になってしまうと、かえって大事な決断を誤ってしまい、無駄死にしてしまうかもしれない、とも言えるでしょう。
そういう意味からも「死ぬ気で生きる」ことが大切な覚悟だと言えるのだと思います。「いつ終わっても後悔しない人生を生きる」という事でしょうか。
本文に戻って
同じ頃に新選組の若い武士たちが、戦の負けを勘違いして集団自決してしまいした。このことでも当時の死生観が現代とは全く違う事がわかりますが、武家一族の武士ではない「女性や子供」までもがこの死生観を共有していたことが、悲劇すぎる現実だと思いました。
当時は戦に負ければ廃藩は必至で、領地は没収、金品や女性は略奪の対象だったそうです。そのことを悟っていた「西郷頼母の妻・千重子」が夫・頼母と長男・吉十郎の鶴ヶ城入城を見送った後、親類一同を居間に集め「子連れでは足手まといになりかねない。ここで自刃するのが国に殉じることだ」といい、幼い子供たちを自分の手で刺し、亡骸を布団で覆ってから自らも自害した、というのが上の画像のシーンでした。
同じ居間では西郷家の母や娘など、総勢21人が同時に自刃しています。
想像してみてください。2歳、4歳、9歳の自分の子供達を手に掛け、13歳、16歳の娘が自害するところを見届けてから、逝った享年34歳の女性の覚悟を…。胸が張り裂ける思いです。
会津若松市の善龍寺に「なよたけの碑」があります。これは戊辰戦争の際、足手まといにならぬように、後世に恥を残さぬようにと、自ら命を絶った200名以上の会津の女性たちの御霊を弔うために建てられたものです。
そこに刻まれている句のひとつに西郷千重子の句があります。
「なよ竹の 風にまかする身ながらも たわまぬ節はありとこそ知れ」
弱いなよ竹と同じように風に吹かれてしまう身だけれど、強風にも曲げられないなよ竹の節のように、私も節義に殉じてみせるという、強い意志と覚悟が感じられる句ですね…
昭和初期までの思考と現在とでは明らかに違う「死生観」に、現代を生きる多くの人が戸惑いを感じることと思います。
いにしえのからの多くの犠牲の上に、現在の平和な世の中があることを、決して忘れてはならないと強く感じながら武家屋敷をあとにしました。
会津東山温泉、大江戸温泉物語東山グランドホテル
会津武家屋敷の前の道を、そのまま山の方へ向かって走ると約5分で東山温泉に到着します。
ちなみに武家屋敷から鶴ヶ城へ行くには、東山温泉とは反対の121号線方面に走ればこっちも約5分で到着します。
山道を車で登り始めると、何件か温泉宿があり、一番奥にあるのが「東山グランドホテル」です。
駐車場はホテルの隣に1ヶ所と、少し離れたところに1ヶ所ありました。
愛車のサバナは大きすぎて枠からはみ出るので一番奥のスペースへ誘導。
ホテルまで歩いたら3~4分掛かりそうだけど、送迎バスがピストンしてくれるので安心です。
無事に到着しました。
ホテル正面玄関。
ここにも居ました、○○娘。最近流行ってますね。
大江戸温泉物語の定番スタイル、浴衣選び。
女性は5種類から、男性は3種類から選べます。
1階フロアーの売店。
「いいふろ会員」になると特典がありますよ。
お土産をお得にする裏技もあります。
温泉フロアーの休憩スペース。
お連れ様を待っている方が休んでいました。
男湯入口。
女湯入口。
男湯脱衣場。
「湯あがり無料ドリンクコーナー」
お茶とビネガーは無料、ビールは有料で500円です。
マッサージコーナーと韓国式アカスリコーナー。
無料のマッサージコーナーもありました。
全身をマッサージしてくれるマシンです。
こちらはビュッフェ会場。
畳にテーブルスタイルで、間仕切りでソーシャルディスタンス。
ロビーフロアーに噴水がありました。
1階ロビーでも無料のドリンクコーナーと有料のドリンクコーナーがありました。
コーナーがオープンしている時間なら無料でアイスクリームも食べられます。
コーヒー、お茶、ビネガー、アイスクリームが無料でした。
1階の奥にはゲームコーナーがあります。
ゲーセンの定番ですね。
特別ほしいものでもないのに何故かやってしまう。
懐かしいホッケーゲームの進化系。
温泉まで来てパチンコする?
朝の時間帯は1階ロビーで「朝市」が行われています。
産地のお土産がいろいろ売っていました。
大江戸温泉物語の魅力はコスパだと思いますが、東山グランドホテルも平日なら一人1万円でお釣りがくる料金設定でした。
温泉旅行に何を求めるかはその人の価値感なので一概には言えませんが、この日もほぼ満室だったのでホテル側は大盛況だったようですね。
大江戸温泉物語のホテルは全国に40ヶ所ありますが、どこのホテルも各地の有名温泉地に古くからある老舗のホテルです。
地元の人なら誰でも知っている様なホテルに、大江戸温泉物語グループの資本が入ってリニューアルオープンするのが基本みたいですね。
巷には、一泊3万円以上で部屋に露天風呂が付いている高級旅館などもありますが、自分の経験値としては「高級旅館」として宣伝している宿でも100%納得できるわけでは無いと云うことを経験しています。
過大評価だったり価値観の違いだったりで、満足=高額料金の方程式は100%ではないって考えています。
そんな経験を何度もするうちに学習したことが、コスパが良くて口コミが高い宿は「満足度が高い」ということでした。
多少ガッカリな面があっても、1万円でお釣りがくる宿なら「納得できる」のですが、3万円以上でガッカリ感があると「納得できん!」プンプン😠となるのです。あくまでも主観ですが・・・
そんなこんなで大江戸温泉物語さんには「大きなガッカリが無く」、逆にこの料金で皆さん頑張ってるな~って「感謝」するほどです。(これも主観です。)
きっとまた別の温泉地の大江戸温泉物語のホテルに行くと思いますので、その際には記事に書きたいと思います。
乞うご期待!
あとがき
日本中には温泉地があちこちにあって、「温泉番付」をよく見かけます。せめて東西の横綱、大関、関脇、小結くらいの温泉地には行ってみたいと思っています。
※BIGLOBEさん出典
温泉番付上位の温泉地も、全国各地に程よく散らばっているので旅をしながら巡るのには都合がいいなと考えています。今回は福島県の地元の温泉に行きましたが、次回は何処へ行こうか考えるのも楽しみのひとつですね。